コーチング学における実践知とは何か
〈コーチング現場での試行錯誤は実践知の温床である〉
スポーツのコーチング現場において選手とコーチは、新しいことを習得したり、既にできることを洗練化したり、記録を向上させたり、個人やチームの技術力や戦術力を高めたりすること、すなわち、上達や競技力の向上を目指して、夥しい数の試行錯誤を繰り返しています。
体操競技の選手は、新しい技を覚えたり、その出来栄えをよりよくしたりするために、また柔道競技の選手は、自分の得意技に磨きをかけるために、「ああしたらどうか」、「こうしたらどうか」と、日々、いろいろと動きかたや体の使いかたを工夫します。また陸上競技の長距離選手は、効率のよいランニングフォームを日夜研究しながら、膨大な量の走り込みに励みます。さらにサッカーやハンドボールなどのゴール型球技の選手たちは、チーム戦術の習熟度を高めたり、新たなチーム戦術を構築したりするために、さまざまな戦術トレーニングを計画、立案し、そのなかで情況把握能力や個人戦術力、さらには技術力を向上させると同時に、選手同士の連動性を高めようと、毎日、悪戦苦闘しています。
すべてのスポーツにおいて、選手が上達したいと願うのであれば、このような試行錯誤を避けて通ることはできません。しかし、このような試行錯誤におけるわれわれの運動経験は、やるたびに微妙に、あるいは、大きく異なるものであり、選手はそうした試行錯誤のなかで一度として全く同じ経験をすることはありません。
ところが選手は、毎回異なる運動経験を積み重ねているにもかかわらず、〈こんなふうにやればうまくできる〉といったように、ある統一された動きかたを覚えていきます。そこでは毎回異なる経験をするなかで、うまくできるために有効な動きかたと、そうでない動きかたを取捨選択しながら、前者の動きかたに似たものを取りまとめて覚えていく(統覚する)といったことが起こっています。
選手は、膨大な試行錯誤の中で、うまくできるようになるために、このような動きの統覚化に悪戦苦闘しているのですが、その一方で現場のコーチは、そうした選手の苦悩と工夫と努力に満ちた営みをなんとかよりよい方向に導こうとして苦心惨憺することになります。そこでは、「選手はどうすればうまくなるか」とか、「チームが強くなるためにはどうすればよいか」ということを四六時中考えながら、選手たちと共に試行錯誤することになるのです。
このようにコーチング現場の選手とコーチは、協働的な試行錯誤のなかで、競技力の向上や上達にとって有効な動きかたを身につけていく(身体化していく)ことになりますが、そのような動きかたは、いわば、夥しい数の実験の繰り返しの中で見つけ出された正解の動きかたとも言えます。しかもその実験は、環境条件などが統制された、人為的な環境下での実験とは違い、厳しい現実のなかで千変万化する条件にさらされながら行われる、まさに体を張った実験です。
このような厳しい現実のなかで繰り返される実験を通して、選手とコーチは上達や競技力の向上にとって有効な動きかた(コツやカン)を創発していきますが、そこではそのような動きかたを発生させるための方法論的な知見も同時にその身に蓄積されていきます。まさにそうした動きかたのコツ身体知やカン身体知、さらにそうした身体知の創発過程に関する知見は、変化の少ない条件下での実験によって導き出される科学知(エピステーメ)などとは比べものにならないくらい汎用性の高い、普遍的な〈知〉といえると思います。なおこのように選手とコーチがコーチング現場において協働的な試行錯誤のなかで獲得する〈知〉は、実践に根ざし、実践に活かされる知恵という意味で実践知と呼ばれます。そしてこの実践知というものは、現場において選手とコーチが一緒になってさらなる試行錯誤を繰り返し、多くの新たな経験を積み重ねることによって、さらに豊になり、その適用範囲も広がっていく可能性を秘めています。
〈コーチング学は実践と結びついた学的探究によってその根底が支えられる〉
コーチング学という学問は、現場の選手やコーチが気の遠くなるほどの練習と指導の積み重ねのなかで身につける実践知を、丁寧に言語化し、それを次のコーチング実践に活かそうとするものだと考えられます。そしてそのような実践知は、多くの選手やコーチに共有・伝承される過程で、その中身が承認されたり、破棄されたり、修正されたり、補強されたりすることで、より普遍的な〈知〉へと鍛えられるといった学的探究を通して理論化が推し進められていくのだと思います。
このようにしてコーチングの現場における選手とコーチによる地道な実践活動とその省察という「実践と結びついた学的探究」の無限の積み重ねこそが、コーチング学の根底を支えていると言えることになります。だからこそコーチング学は、多襞的で豊かな競技経験や指導経験を有する実践家にのみ開かれている極めてユニークな学問領域としてその独自性を主張することができるのだと思います。