コラム

思いを既存の方法に収めるな!

 私は、アスリートやコーチの実践知を公共化する質的研究を専門としている。この研究を始めるきっかけは、今から20年前に遡る。日本体育協会(当時)の研究プロジェクトメンバーとして、初めて動きのコツやカンを聞き取りに行った時のこと。卓越したハンドボールのゴールキーパーとシューターから、自分自身の経験や想像をはるかに超える感覚を教えてもらった。彼らのプレーを動きの形で評価したり、阻止率や成功率といった数字で表現するのはもったいない、この世界を豊かなアクチュアリティをもって学術的に表現したいという思いをもった。
 しかし、言うは易く行うは難し。その方法がない。「対象者は母集団を代表しているのか」「インタビュー調査では『本当のこと』が語られているのか」「結論は恣意的な解釈ではないのか」「他の選手にも当てはまるという普遍性をもたないのではないか」と自問してみるが、納得できる自答ができない。心理学、社会学、看護学、教育学、現象学など、さまざまな領域の論文や文献を読んだ。なんとか手続きを考案できた。手応えのある考察ができた。ようやく論文が採択された。最初のインタビュー調査から数年が過ぎていた。
 今振り返るとその数年間は、自分自身の研究マインドを形成してくれたかけがえのない時間であった。自然科学的・数量的研究を行っていた時には自覚していなかった、研究が備えておくべき科学性について深く考えることができた。研究者や選手に「おもしろい」と言ってもらえる知を生み出せた。
 既存の方法を採用し、対象を変えることで主張できるオリジナリティは科学の発展に確実に寄与する。しかし、明らかにしたい知があるのならば、既存の方法ではそれに近づけないのならば、思いと覚悟をもってそれを表現する方法の開発に挑戦してほしい。

會田 宏

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